有意義な講義とは?[教員編]

教育学部 初等教育講座 准教授(2006年当時)
鈴木 慶子(すずき けいこ)先生

専門:
教科教育学(国語科書写、芸術科書道)
主な研究テーマ:
1)文字を手書きする行為の意義や価値
2)文字を手書きすることの教育について
3)「書く」活動と学習者の発達の関係

―― 先生が考える有意義な講義とはどのような講義ですか?

 まず「講義」の定義について、エピソードを交えて話しましょう。 四年ぐらい前のことだったと思います。教育学部で、ある志を持っている先生方が集まって「授業改善」についての活動をしようということになりました。 その活動の中に東大を定年退官して長崎大学に着任された先生にも入っていただいたんですよ。 そしたらね、話し合いの中でその先生は、「自分は講義も受けていたし、講義もした。でもその『講義』というのは、 自らの知識や考え方を学生にずっと話す事であった。そう思い込んでいたけど、教育学部では『授業』という言葉遣いをしていて、 小・中・高で言っている『授業』と同じような考え方がベースになっているんですね」と仰ったんです。 私たちはその時、教員から学生に向けて一方向に話しかける「講義」と、 教員と学生とがやり取りをしながら双方向で組み立てる「授業」という考え方があることを確認したんです。 皆さんがここで言っている講義というのは、そういう意味の講義ですか?大学は、講義、演習、実習によってそれぞれ単位が違ったりするんだけども、 「先生の考える有意義な講義とはどういう講義ですか?」と言われたら、東大で言っている「講義」に近い?

 講義と授業は違うようだニャ。

―― はい、学生が受けることのできる全てのものです。

 分かりました。それでね、私は授業というものは特に「入り口まで引っ張っていく」っていう事しかできないと思うんですよ。 面白い、やってみたいと学生さんに思わせる事が仕事だと思うし、私にはそれしかできないと思うので、そういうのが有意義な授業・教育だと思います。 「今までと違った考え方に出会ったんだ」って、それを突き通して「どんな風になるんでしょうかね」って学生が私に言ってくれた時に、 「あ、私って入り口まで連れて行く事ができたのかもしれない」って思っていたりする。 だから、教養セミナーなどは学生を学問の入り口まで持っていって、学生自身に学習してもらうようになりますよね。 高校生までの勉強とは違うんだよ、っていう事を何となく口に出して言ってくれたりとか顔つきで示してくれたりする時に、有意義だったなって感じます。

 大学の講義では、すべてを先生が教えてくれると思ったら間違いニャ。

―― なぜそのようにお考えになりますか?

 それは、今言ったように絶対そこまでしかできないから。全ての事を教えるとかそういう事はできないし、後は自分達でやっていってもらうしかない。 しかもね、同じになってもらおうなんて思ってないから。 違うタイプの人になって欲しいとか、もっと違う事や新しい物を生み出す人になって欲しいと思っているからです。

 「違うもの」「新しいもの」。先生はそういうものを学生に生み出してもらいたいのかニャ。

―― 大学の授業って大体15回か30回くらいしかないですよね。 それは、大学の講義がもともと「入り口まで引っ張っていく」という考えで作られているからですか?

 講義とその前後にある予習・復習時間を入れて何十時間(学生が勉強を)したら、そこで合格になるという単位制の考え方があるでしょ。 それで15回って一応区切っているけど、もしかしたら、50回やっても同じことかもしません。 50回でも3回でも、やっぱり「引っ張っていく」、入り口まで連れて行くことには変わりがないと思いますね。

―― 「入り口まで引っ張っていく」講義にするために先生が具体的にされている工夫はありますか?

 そうね、具体的には教員と学生で意見を交換し合うことをします。 グループで考えてから、グループの代表の方と話し合うとか、あとグループ同士の話し合いをしますね。同じテーマについて、 ある一つの文章を読んで、これを書いた人の意見に賛同するか反論するか、各班で考えてみてと言って、こちらは賛成こちらは反対って時に、 どこでそういう風に分かれるかと考えてもらったりしますね。話し合いはテキストには当然載ってなくて、 その場にいなかったら誰が何を言っているのか分かりませんよね。

 先輩たちが有意義だと考えている双方向の講義を実践されているようだニャ。

―― 学生が考える有意義な講義というものに、「テキストに載ってない事を学べる講義」という意見があるのですが、 それについてはどう思われますか?

 それ書いてくれて嬉しいと思うよ。大学に来て勉強しているということ、人間に習うって事はそういう事じゃないのかなという風に考えています。

 講義の雰囲気も感じてもらいたいと考えているのニャ。

―― あと学生の意見としては、「講義の目的や目標がきちんと分かる講義」「しっかり板書されている、配布資料がある講義」 「教員の教え方がうまい講義」「将来の役に立つような講義」などの講義を有意義と捉えているようです。

 授業をする人はそういう風にしないといけないと思いますよ。

成績評価について[教員編]

―― 先生はどのように成績評価をされていますか?

 先に私の考えている事から言うと、私は全員Aにしたいんです。入り口まで連れてくる事ができた、って事はAだから。 でもそれじゃまずいって思う面もあるし、ABCを厳密に放物線状に分布しなさいって先生もいるし、どうしたらいいかって実はとても迷っているんです。 今やっているやり方は、15回の内4回休んだら失格とか、5分の4以上出席して欲しいっていう風に思っているから、 試験だけできれば通るっていう考え方ではありません。

長大の成績評価は「ABC」なんだにゃ。Aの上に「AA」というのもあるばい。
そういえばおいも、大学の先生の成績評価の方法が気になってたんだにゃ。

―― でも最初から出席しなくても、テストで点を取れば単位あげるよ、って先生もいますよね。 実際に何回かしか授業を受けてないけど、テスト勉強をして受かった、っていう授業もありました。

 それはいい事かもしれないね。自分で勉強できるっていうのは。でも、何で出席しなくてテストで点を取れる授業しているの、って思いますね。 本だけ読んでいるのと、先生の授業受けているのと、同じだったらおかしいじゃない?出席を取らなくていい時代もあったみたいですけど、 私は毎回授業が始まって10分以内に取りますよ。10分以内に入ってなかったら遅刻で、遅刻が3回たまったら欠席1回にしています。 授業が30分過ぎてから入ってきても「欠席だけどいい?どうする?」と聞くようにしています。授業の3分の1以上いないのに、出席っておかしいと思うから。 細かいかもしれませんけど、学習の場にいるって事、つまり、 一緒に勉強している他の人が何を言ってどんな風に反応したかっていう事まで感じて欲しいと思っているんです。 出席して、その場の感激とか興奮とか雰囲気とかを感じ取るって事がベースにあるんです。それに加えて、基本的に絶対知っておいて欲しい用語とか、 実技だったらここまでやって欲しいとか、そういうところまでいったら合格っていう考え方です。レポートでも「基本的な書式」を踏まえていなかったらダメだけど、 それを踏まえて、自分の考えで一歩でも踏み出していたらC以上にしますね。

 確かに、授業をちゃんと聞くのと、人にノートだけ見せてもらうのでは理解度が全然違う。
後でノートを見せてもらうだけじゃあ、分からんこともあるっちゅうことばい。

―― 先生の考えるレポートの「基本的な書式」とはどのようなものですか?

 小学校の国語の教科書には、レポートの書き方とか手紙の書き方とかあらゆる書類作成の基本的な事が書いてあります。 実は小学校から習っているんですよ。それは当然できなくちゃいけないし、世の中には出版社が出しているレポートの書式の本もありますよね。 学生が「どうしてレポートを出したのにダメなんですか?」って言うんだけど、出しただけじゃダメなんじゃないかしら。 もちろん丸写しじゃダメ。形式を守っていて、しかも内容として破綻がなくて、色んな先生から聞いた話や友達が言っていた事を交えて、 だから自分はこう考えると主張すること。なおかつ出席もあって、それでCだもの。あとは自分で試行錯誤した後とか、調査した結果だとか、 結果が出なくてもきちんと報告されているものは、A、Bってなるんじゃない?

 厳しいようじゃが、レポートの書き方を学ぶことも大事じゃな。
自分のために勉強するんじゃから、しっかり学ばんともったいないにゃ。

―― テストで成績評価をされる事は?

 60分や90分のテストはしませんが、たまに、15分とか10分とか短い時間で、「単元」や「領域」等の、 必ず知っていて欲しい用語についてテストをすることはあります。ゆくゆくレポートを書く時に使ってもらう最低限の用語10個とかを、 「テストするから覚えてきて」と言って、確認テストみたいな感じでします。 そうして、学生の知識が揃ったな、って思ったらレポート課題を出す、という風にします。 テストだけで成績つける事は、私はないですね。それから、レポートについては、一人でできる事は当然なんだけど、 共同してやるって事をとても大事に考えていて、1年生でも共同レポートっていう物を書いてもらう事が多いです。 「どこを自分が担当したか」というのを明確にしてもらって、それで最後に考えた事や感じた事を一人ずつ書いてもらったりします。 一人でやる事と共同してやる事と、両方とも大学時代に身につけて欲しいと思っているんです。 私は教養セミナーを今年の前期にしたんだけども、その人達も3つのグループに分かれて共同レポートをしました。

―― 教養セミナー以外でも共同レポートを書かせていますか?

 していません。どうしてかっていうと私、教養セミナー以外は教育学部の授業なんですけども、教育学部は一人でできる事が前提なの。 だけど、共同してできない人は困る、って考え方なんですね。チームを組んで仕事をやらなかったらできる事って限られますよね。 企業に入ったらそうだと思いますし、教員もそう。教育っていうのはチームでやらないとできない事なんですよ。

―― 大学の講義など、先生方は一人ひとりで仕事をしているイメージが強いのですが。

 それはそうかもしれない。でも、共同研究ってあるでしょ?リーダーになると、当然リーダーとしてもできなきゃいけないし、 他のメンバーはリーダーを支える事もできなきゃいけない。そういう事のできる人の育成を目指しているんです。でも教員だけじゃなくて、 共同してできないと困ると思うんだけどなぁ。だってね、すぐ言いつける子っているでしょ、「先生」って。 言いつけてもいいんだけど、分かっているのよ、誰がやってないかなんて。 だから「自分達では解決できないの?」「私に言ったら何か良い事あるの?」とまず聞きます。 小学生だったらお母さんとか先生とかに言いつければ何とかしてくれるかもしれないけど、大学生は大人だと思っていますので、 「世の中にはやっぱり協力してくれない人もいるんだし、自分がリーダーになった時、そういう時どうするの?」って聞いたりしますね。

 大学では知識はもちろんじゃが、人と協力することも学べるんだにゃ。
協力してくれない人もいる、というのも勉強するチャンスじゃ。
社会に出てからも、人と一緒に何かをすることは多いぞ。今のうちに勉強勉強。

―― レポートやテスト、出席以外に他の方法で評価していますか? 例えば授業貢献度など。

 それってね、多分レポートに反映されると思う。 よく小学校、中学校に「意欲・関心を評価する」ってあるけど、どんな風に評価するかってとても難しくて分からないんですよ。

―― 手を上げる、とかでしょうか?

 でも手を上げなくても考えている人はいると思います。 それから「先生、先生」って沢山言いつけに来る子もいるけど、やっぱり黙って頑張っている人もいるわけだから、 それってきっとレポートに反映されると思うんですね。 共同レポートでも最後の「その活動を通じて何を考えたか、感じたか」を一人ずつ書いてもらう部分に反映されると思う。 それから、学習報告書、っていうものを書いてもらっているんです。授業記録・学習記録っていうものをつけてもらっていて、その記録を自分で読んで、 半期通してどんな風に自分が学習者として変わったかという事を書いてもらうの。その報告書を読むと、 ちゃんと考えて苦心した人ってそれなりの物を得ているような気がするんです。効率が悪かったかもしれないし、 やっぱり自分の考えた通りにはうまく行かなかった、と思えるというのは、それだけ経験を積めたってことだと思うの。 だから、ひだがつるんとしているんじゃなくて、もっと複雑で深いものが得られているような気がするんです。

 ずるいことしとる人は、先生は分かっとったとか…。
ちゃーんと頑張れば先生は分かってくれるし、自分のためにもなるんだにゃ。

学生の良いマナー・悪いマナーについて[教員編]

―― 学生の良いマナー・悪いマナーというのはどういうものだとお考えですか。

 例えば、学生が私の研究室に入ってきた時に,私がたまたま食事をしていたとしましょう。 その時、「今、お食事中ですがお話してもよろしいでしょうか?」って言ってくる学生。そのような学生を素敵な学生と思いますね。 方や、名前を言わず、入ってきて一方的にレポートを渡そうとする学生を見ると、言いようが無いですね。 これはあまりにも対照的な例ですけど。つまり、良いマナーが出来る人というのは自分の目的のことで目いっぱいになってしまわないで、 相手の反応を良く見ていたり、相手の様子を感知しようという余裕があったりする人ではないかと考えます。 そうでない人は、挨拶も出来ないだろうし、タバコの吸殻も捨てちゃうだろうし、携帯もいたる所で使うだろうし、 授業中も傍若無人に居眠りしたりするだろうし、やはり、自分以外のことを考える余裕がある人というのが良いマナーができるのではないでしょうか? それは学生さんに限らず。大人に対しても言えると思います。

 先輩も相手の立場に立って考えるようにと言っていたニャ。

―― 学生がマナーを身に付けるにはどうしたら良いと思われますか?

 親以外の人からどんな風に愛されるか、どんな風に、色んなことを教えてもらえる人かに関わっていると思います。 親にしか、言ってもらえないような5歳とか6歳のころ、親から全ての事を教わりますよね? この時期は、親がしていることを真似し、親に褒められたらするし、怒られたらしない。 そういう基準で生きていると思いますが、学校に行きだすようになると、親と違う価値観で色々なことが起こってくる。 そのような時、どっちにすれば良いか迷った時に「どうしたらいいの?」と聞ける人がいるとか、 自分で気がつかずに変なことをしてしまったことに「まずいのでは?」と言ってくれるような人がいるかどうかが、 マナーを身に付けられるかどうかの重要な要素になってくると思います。 言ってもらえる人というのは受け入れ態勢がある人、余裕がある人、他の言い方をすれば、親以外に愛される術を知っている人です。 親以外に愛される術を知っている人は生まれに関係なく、良いマナーが出来る人間に育っていく。 だから、そのような人になれるようにしなくてはいけませんね。それと正直であることも重要です。 ただ、正直というのは人の意見ばかり聞くのとは違うと思います。 いずれにせよ、一回言って聞かない人、自分の事しか考えない人には誰も言わなくなるだろうから、そういう人は当てはまらないでしょうね。

本当、人の話を聴く耳をもたなくてはいけないニャ。

―― 先生はTPOをどのように考えていらっしゃいますか?

 TPOというのは、人との距離感に対して敏感でないと分からないと思います。 時代によっても変わるし、地域によっても変わるし、男女の間でも違うから、TPOというのは教科書に書いておくことができないと思う。 TPOを判断するということは先程も言ったように、どれぐらい余裕があって、どれくらい瞬間的に判断できるかということに関わってきます。 人との距離感を感じることだと思うよ。自分が親しいと思っていても、相手が親しいと思っていなかったら、踏み込んではいけないですよね? 教科書に書いてあるマナーとしては敬語を使わなくてはと思うかもしれません。しかし、時間を重ね、先生も大分、自分に対して好意を持ってくれていて、 今は少し砕けた言葉を使ってもいいかもしれないなって瞬間に感じ取れるという時がありますよね。 それがTPOです。ルールに縛られない素敵なマナーだと思いますよ。

 TPOも相手の気持ちを感じ取ることが大切ということは同じニャ。
でも、心がけておけばよいというものでもないようだニャ。

目標の設定とやる気の維持[教員編]

―― 先生は、学生時代にどのような目標を持たれていましたか?

 そうですね、私は、大学3年生、4年生の頃からキャリアを持とうと思っていました。 キャリアというのは仕事もそうだし、人間としてもきちんとした経験を積もうと思っていました。 ちゃんとした大人になるっていうのは確かにあったと思います。

 学生時代は人としてより良い経験を積むことを目標としていたニャ。

―― 何がきっかけでしたか?

 私の学生時代は、バブルの時ですからね。もうバブルの絶頂ですね。就職の時はですね、今と全然違いますよ。 就職できない人なんて誰もいませんでした。でも、教員採用試験はかげりが出て、難しくなっていく。公務員も難しくなっていました。 でも民間の給料が高いところに就けば、誰でも大丈夫という時代でした。

 目標の設定には時代背景というものも関係しているみたいニャ。

―― それで、キャリアを持とうとお考えになったのですか?

 そうですね、みんなが就職する中で、私はキャリアを持つということが重要だと思ったんです。 バブルの時は、物が豊富で情報も溢れていて、消費こそ全てという時代でした。その時代にあって、私は自分の中身に向き合ってきたと思いますよ。 自分がどうあるべきかという方が大切なんじゃないかと思いましたね。自分の中に何か重いものを持つということは考えていたと思います。

―― 目標を達成するためのやる気の維持はどのようにされていましたか?

 自分の中に何か重いものというか、芯を持つということはですね、それは人によっては、資格や試験を突破していくことでもあるでしょう。 しかし、それを履歴書に書くだけの資格にしておくのではなくて、何か新しいものを作り出していくためのものにしないとね。 こう考えていても、具体的にやれることというのはそんなに無かったですね。今に比べれば一つ一つに時間がかかっていたなと思いますよ。 色々考えてもやることがなかなかできないんですよ。色んなことを考えている割には、具体的に形になったものは少なかったなあと思います。 でも以前から私はね、色んな展示会、展覧会を見に行ったり、色んな人の話を聞きに行ったりは他の人に比べてやったかもしれない。

目標が定まっていくのも時間がかかるけど、目標を達成するのも時間がかかるニャ。

―― それでは、現在、先生はどのような目標をお持ちですか?

今の目標はね、大きく言ったらちゃんとした成熟した大人になることじゃないかな。成熟という言葉と老化という言葉は殆んど背中合わせなんですけど、人間としてちゃんとするというのは、大きい目標じゃないかな。ただ学位を取るとか、そういうこととは違うと思う。

目標っていうのは変化するみたいニャ。そのことで自分自身も変われるのかもニャ。

―― 中身の成長ということですか?

 中身ですよね。例えば、究極の選択で論文を10本書くことと、人間として成長する事とどっちを選ぶって聞かれたら、 たぶんね、人間として成長する事を選ぶと答えます。それが基本だと思っているからです。 人間としてどう考えることができるようになったか、何を理解する事ができたか。 また、色んな立場・境遇の人がいるということがどれくらい分かるかってことの方が、 私の研究である評価の確かなあり方を考えるということよりも少し優先する。 でもそれは、その評価の正しいあり方のベースになることだとも考えています。

―― 先生は夢をお持ちですか?

 そうですね。夢は素敵な人達と一緒に生きることかな。育てるということは、私は言えないと思うんですよ。 私も育てられている面もあると思うから。13年前に来たときと今は、私は大きく変わっていると思いたいし、そうだと思いますよ。 だからその間に、色んな学生さんと泣いたり笑ったりとか怒ったりとかがっかりしたりとかしたんだけど、きっとその中で私は学生さんに、 育てられたというか、変わらせられたかな。良くも悪くもそう思っています。

―― 今、目標を持てていない学生に対して先生ならどのようなアドバイスをされますか?

 その人はまだ色々変わることが出来るよね。 私だったら何をしたいのかなと聞いてみて、そしてそれをやるためにはどうしたら良いのかなと聞いていくと思いますね。 そしたら、長崎大学の学生でいることは良いことですか?良いことだったらしたら?やれそうだったらしたら? やれないなぁと思ったらちょっと休んでごらんとかね。休んでまた考えたら? 別の道を選んだほうが良いと思ったら、別の道を選んだほうが良いんじゃない?というように伝えます。

高校までもそうだったかもしれないが、大学以降は決められた道がないニャ。自分にとって適した道を考えることは必要なことニャ。

人として成長する[教員編]

―― 自分を成長させてくれた出来事、活動やきっかけなどを教えてください。

 成長とは言えないかもしれないけど、毎日何かが変わっていると思うんです。 毎日のことでも、出勤時間とか帰宅時間とかは決まっているけど、毎日違う人に会うし、毎日電話で色んなことを話したりして、毎日変わっています。 大学の先生っていうのは毎日毎日やる仕事が違って、同じことがないんです。 授業だって、また来期に同じ授業があるけど同じことはやらない。だって学生が変わるんだもん。 毎日違う出来事に出会って、驚いたり、がっかりしたり、いつも色んな感情が湧き上がって来る。だから、毎日変わっていると思う。

―― 先生の現在の目標は「成熟した大人」になることだと言われましたが、そういう意味での、中身の成長はいかがですか?

 最近は、中身の成長は遅々としてますね。 毎日違う色んなことの中で、あっ、この事か、って分かったときに人間として成熟するのかなと思いますけど、毎日はないですね。 成長らしいことといえば、前は分からなかったけど、今ならそういうことを言う人の気持ちが分かるってことならあります。でも成長って難しいよね。

そうだにゃ、おいも毎日違うことが起きとるにゃ。
毎日の大学生活の色んなところに成長のきっかけが転がっとるかもしれんばい。

―― 先生が学生時代に成長できたと思うことはありますか?

 学生時代は、出来るようになったと思うことって沢山あったんじゃない?そりゃあ毎日ありましたよ、若いときは。 出来るようになったという思いは、出来なかったっていうよりもたぶん多かったから、結果として成長できたっていうことなんじゃないかと思うけど。

―― 部活やアルバイトなどの組織に入ることで、 意思疎通の重要さだとかコミュニケーション能力がアップしたという意見があるんですが、先生はどう思われますか?

 そうだと思います。私も学生時代にサークルに入っていて、そのサークルで新聞を作っていたんです。 新聞を作ったから成長したとは言えないけど、それも一つだとは思いますね。いろんな立場の人と話したり喧嘩したりするということじゃない?

仲が良いのもいいが、人とぶつかり合うことも大事なんだにゃ。
お互いに切磋琢磨する、ということだにゃ。

―― 一人暮らしが学生を成長させるという意見も多くあります。

 そうだね。一人暮らしもそうだと思いますよ。一人で考える時間や空間があるって、大きいと思いますね。

―― それから、教育学部の学生は教育実習で成長したと思うことが多いようです。

 教育実習はとっても大きいと思う。極限状態の一ヶ月の中で、すごく大人になって帰ってくる。 前から大学でも言っていたのに、なぜ附属小学校や中学校などの実習先で言われるとすっと伝わるのかって思うと悔しい時もあります。 でも、実習では目の前に実際に子どもがいて、その子どもを巡って譲らない、譲れないっていうところをきちっと言ってくれる状況があって、 学生はその中で鍛えられるんだと思いますよ。ゼミでは子どもがいないから空論になっちゃうんですよね。だから同じこと言っても響き方が違うのかなと。

 大学では新しいことがいっぱいあるにゃ。
色んなことを経験して自分を高めるチャンスがいっぱいなんだにゃ。

最後に

―― (アンケートの回答の中で)印象に残った学生の意見はありますか?

 尊敬できる人という項目において、尊敬する人に、お父さんとかお母さんとか友達とか先輩など、 近くにいる人が挙げられている点が面白いというか、「そうなの?」と感じました。 尊敬する人といえば私はそのようには答えませんね。私の尊敬には、憧れとか、怖さとか、恐れとか、畏怖という意味が含まれています。 だから、「尊敬する人は誰ですか?」と聞かれたら、私だったら「マザーテレサ」と答えると思う。自分の母に思う気持ちと違いますね。 尊敬するっていう気持ちは。私はマザーテレサを映像や新聞でしか見たことがないけど、やっていること、考えていることをみると、人としての大きさ、 深さは計り知れない。自分は絶対になれない。尊敬に値するっていうのはそのような人ではないかと思います。

―― 普段の生活から、長崎大学にはどのような特徴を持った学生が多いとお考えでしょうか?

 親を大切にする人とか、身内を大切にする人、地元を大切にする人が多い。それは思います。周りを大切にする人が多いと思いますよ。 歴史的にも、周りの人たちが周囲を大切にしてきたという風土があるからではないですか?他の土地に比べたら、すごく優しいし、思いやりがあると思います。 でも、咄嗟に何かをするということは少し弱いかもしれない。東京とか大阪の大学生は、咄嗟に何かするということが出来るような気がします。 あの人たちは、あまり練習しないの。長崎大学の学生は真面目に準備して、準備したものについてはなかなか良いのですけど、 準備しなかったものについては、お手上げになるような気がします。 そのところは、もう少し咄嗟に色んなことが考えられたりだとか、判断できたり、行動できたりするようになって欲しいなと思います。

 失敗することでも成長して咄嗟にできるようになってほしいニャ。

―― ラーニング・ティップスの活動自体について、意見や感想をお聞かせください。

 素晴らしいと思いますよ。だって、自分達で行動して大変ですよね。偉いと思いました。 「大学生だけでやっているなんてすごいですね」と世間からも注目を浴びていますから、頑張ってもっともっと良いものにしてほしいと思います。 今回は、先生からの意見も聞いているのですね。そしたら、それを全部受け入れるのではなくて、 自分たちでどれをどんな風に取り込んだら良いかなと考えた上で、意見を活かして欲しいなと思います。 1年生はやっぱり先輩の言葉を頼りにしていると思いますよ。 でもね、今回のインタビューにあたって、周りの大学3年生とか4年生に聞いたら、知らない人が多過ぎるの。 こんなに頑張っている人がいる一方で知らない人が居過ぎだから、1年生に教えると同時に、2〜4年生にももっと伝えていったほうが良いですね。 それと、学生の感覚が重要だけど、「それでは伝わらないよ」とか適当に良いアドバイスをしてくれる人を見つけた方が良くないですか? 学生、先生、両方の意見があった方が良い改訂が出来るのではないですか?

 どんどん、ラーニング・ティップスの輪を広げていってほしいニャ。
そしたら、おいももっと有名になれるニャ。

―― それでは、先生から学生に向けてのメッセージをお願いします。

 これまでの全てがメッセージですね。大学生活は自分達が思っているよりも短いから、何もしない人はあっという間だと思いますよ。 沢山何かをして、あっという間に学生生活が終わってしまわないように過ごして欲しいな。そう思います。

 有意義に過ごして欲しいニャ。鈴木先生、ありがとうございましたニャ。