有意義な講義とは?[学長編]

長崎大学長(2006年当時)
齋藤 寛(さいとう ひろし)先生

昭和12年1月 長野県生まれ

昭和38年 東北大学 医学部医学科卒業
昭和43年 同大において医学博士号取得
平成14年 長崎大学長(平成16年3月まで)
平成16年 国立大学法人 長崎大学長

―― 先生が考える有意義な講義とはどのような講義ですか?

 まず、私が学生の時に惹かれた講義を説明します。

 1つ目は、話す人が十分に準備している講義であること。十分に準備しているかどうかは聞いていればすぐに分かりますね。 2つ目は、学生に対する熱情・愛情が感じられる講義であること。3つ目は、分かりやすく明快な講義であること。 この3つですね。またそういう講義をする人がいる大学を選んで受験しました。 私はもう引退しているけど、年に何回か皆さんの教養特別講義で、それなりに学生の時に受けた印象を守ろうと思ってここまでしてきたつもりだけど、 学生の皆さんがどう思っているかは分かりませんね。

―― 準備されている講義や熱情を感じられる講義というものを、先生はどのように判断されますか?

 講義や学生に対する熱情や愛情は、雰囲気で分かりますよ。準備されている講義もすぐに分かります。 配布資料も含めて、学生に対して教えるべき内容を厳選しているかとか、そういうのはすぐ分かります。 自分の研究のことばっかりで、分からないことを話す人もいるわけだしね。 教育目標があって、この15回なり1回の講義で学生に何を伝えたいか、それにはどういう内容が必要かということが、 やっぱり同じ講義をしていても一年後には必ずどこか違ってくるわけで。 あるいは、学生の反応で、どうやらここのところはちょっと分かりにかったから、この次の時はこうするとか。 教員が一生懸命やっているか、よく準備しているか、その人の講義が明快かということについて一番すぐに理解するというか判断できるのは、 学生諸君だと思います。

 学長先生は、「十分に準備されている講義」、「学生に対する愛情が感じられる講義」、 「分かりやすく明快な講義」の三つを有意義な講義と考えられているようだにゃ。 準備されている授業は分かりやすいし、熱情がある講義はやる気がでてくるにゃ。 この3つを見極めると自分にとって有意義な講義を選べるかもしれないにゃんにゃん。

―― それでは、次に有意義な講義にするために具体的に工夫していたことがあればお聞かせ下さい。

 まず、全体に声が聞こえているかを確認します。次に、所々で学生に質問して理解してもらっているかどうかを確認します。 それから、スライドを使う時は必ずどこからでも見える大きさ、具体的に言うと、1つのスライドに10行ぐらいの情報を載せるようにしています。 私も40年近く教員をして、また学会で研究者として喋っていますけど、「すみません。このスライド見えないですけど」とは一回も言われたことがないですね。

―― 配布資料はどうされていますか?

 資料も同じことですね。資料は実際に、そのまま写してきたものが必要なこともあります。 しかし、やっぱりその資料から自分でアレンジして分かり易くするような工夫をしなければ学生には伝わらないものです。 プレゼンテーションというものをいかにして相手に分かりやすく理解してもらうかということを考える教員は少ないですね・・・。 講義に出てこない学生が、辛い評価をする事が問題なのではありません。 評価を見せてもらった時に、自分の講義の板書が順不同で分かり難いという意見があった場合、そうだと思ったら直せば良い。 そうじゃないなら、講義を始める時に学生の意見に対して自分の考えを説明すれば良い。 そのために「学生による授業評価」はあります。「学生による授業評価」は教員を高めるためだけにあるのではありません。 評価の中から授業に足りていない要素を取り出すのも大事な目的なのです。

 「学生による授業評価」というのを半期に一回やってるんだにゃ。自分の意見を書けるよい機会だから、よりよい講義づくりに協力するにゃ!

学生のマナーについて[学長編]

―― 先生から見て、学生の良いマナー悪いマナーとは、どのような態度だとお考えですか?

 良いマナーとは、自分から挨拶ができることだと思いますね。 挨拶は相手の人にコミュニケーションを促し、私はあなたのことについてちゃんと知っています、という意思表示です。 高利的な表現かもしれませんが、自分から挨拶をして損はしません。 情けや人の為と思ってやっている挨拶は、自分に何か起こった時に助けてくれるわけです。 にもかかわらず、昔から若い人は自分から挨拶ができないのですよ。この点は是非とも学生の皆さんに自覚してもらいたいと思いますね。

―― タバコのポイ捨て、歩きタバコについてはどのような思いを持っていらっしゃいますか?

それは、しないことが当然です。 原爆によって長崎大学の文教・医学部キャンパスで大勢の方々が亡くなっています。 それから時が過ぎ、今、桜が咲いたりしているけど、キャンパスは皆さんたちの先輩が焼け焦げになって亡くなった場所であること、 そして今でも、その方々が眠っている場所であることを考えると、 タバコ・弁当ガラのポイ捨てとかそういうことをするということは人間として恥ずかしいことでしょう。 教養特別講義などで私は原爆を含めた長崎大学の歴史について学生さんに話をする機会がありますが、 学生の皆さんはこのことをしっかりと覚えてくれていて、歩きタバコをする人が少なくなりました。 今では全学屋内禁煙になっています。タバコのポイ捨てや歩きタバコについては、私はそれほど心配していません。 長崎大学には多くの信頼できる人がいるということを私は知っているからです。

 長大生としての自覚と誇りを持ってほしいニャ。もちろん、学内だけの事じゃないニャ。

目標の設定とやる気の維持について[学長編]

―― 先生は、学生時代にどのような目標をお持ちでしたか?また、その目標を持つきっかけはどのようなものでしたか?

 そうですね、大学に入った時から50年。卒業して45年くらいになりますが初めて言います。 僕は、医学部に行く時にある人から学費の援助を受けて学校に行っていました。 本来は文学部か経済学部という文系が志望だったんですけど、そういうところに入るとなかなか就職が厳しいという状況が当時ありました。 また、当時は就職の時に親の経済状態が必須の調査項目になっていたこともあり,進学することはとても困難な時代でした。 経済的なことから,文系に進むことは止めました。医学部も考えていたんですが,医学部は学費も高いし、6年も通わなければならない。 やはり経済的負担が大きい。どうしようか悩んでいた頃、君が医学部に行くんだったら資金を援助しようと言ってくれた人が現れたのです。 資金を援助する代わりに卒業したらその人のところに来て手伝うということが条件でした。 場合によっては跡を継ぐことも言われていました。私はその条件をのみ,学校に行くことにしました。 だから、この時の私の目標は絶対に落第しないこと。6年で卒業することが何よりも大切でした。

―― そういう学習する意欲や、やる気というのはどのように維持されていましたか?

 人生のある時期からは学問や研究などと無縁の生活をしなくてはならないということを知っていました。 だから、できるうちに貪るというか、できるうちだけは勉強しようと思っていたので頑張ってこれました。

 そうだにゃ! 今は勉強ばっかりやけど、勉強することがなくなるんだにゃ! 勉強するなら今しかないにゃ!

―― 学生時代に、目標を持つ意義を先生はどうお考えですか?

 おそらく、目標を持っていると周りの人から見て凛々しく見えるんじゃないですかね。 それがその人にとって、巡り巡って大きな支援になるというのが私の考えです。

―― 次に、現在の学長先生の目標をお聞かせください。

 現在の私の目標はですね、長崎大学の学生諸君の勉学生活環境を少しでも改善するということです。 それで図書館の机を買ったり、本を揃えたり色々してきました。一番嬉しいのは、図書館の利用者が増えたということですね。 3年前の図書館利用者は42万人だった。平成19年は50万人を越えると思います。2つ目は、長崎大学の各学部の教員が、 互いの学部やセンターなどの立場も理解し、一緒に手を取り合って長崎大学をより発展させるための環境を作ることです。 それが次の時代の学長に繋がるのではないかと思っています。

―― 目標を持つにはどうすれば良いと思われますか?先生から学生へアドバイスとしてお聞かせ下さい。 また、やる気の維持をするにはどのようにすれば良いと思われますか?合わせてお聞かせ下さい。

 一人一人が考えてもらうしかないね。そうしてもらうのが大学だと思っています。 大学では、経済学や環境科学や医学などの専門的知識を学ぶことが必要だけど、目標を持つということも必要です。 それは人間を学ぶってことだからね。長崎大学医学部の教育目標は、まずは医学を学ぶ、次に科学を学ぶ。 普通はこれだけですが、長崎大学は人間を学ぶという目標を立てています。人間には色々な生き様があります。 色々な人と話をする中で自分の理想とする、または自分はこうなりたいという生き方を学べばいい。 例えば、昔は、胃癌や心筋梗塞の診断といった狭い意味での医学しか勉強していなかったけど、 今は僻地で診療している先生がどういう風な日常生活を送っているのかといった人間を考える医学を勉強する。 学生も僻地まで行き、その先生たちと話をしたり、講義を受けたり、場合によっては夜に御馳走になったりして学んでいます。 そういうように人間を学ばなくては自分が何を選択していいか分からないでしょう。 日々の仕事を一生懸命しながら、志を持って、人間を学ぶしかない。誰も教えてなんかくれないのが本当だと思います。 私は、それを自主性と呼んでいます。自発的に学ぶ。じゃあそれをどうやって見つけるか、これはやっぱりその本人ですね。

 学長先生は、目標を持つには自分自身で考えることが大事だと考えているようだにゃ。 皆も、色々な人と会い、話し、考えを吸収して、人間を学んで目標を持つんだにゃ。 大学生活は絶好の機会なんだにゃ!! この機会を逃すことはない!!自分の手でつかめ!目標を!!夢を!!

人として成長する[学長編]

―― 自分を成長させてくれた出来事、活動やきっかけをお聞かせ下さい。

 医学部を卒業して大学院に進学しようと思った時は、一番準備して、一番明快で、一番熱が入っている講義をしていた先生の研究室を目指しました。 そこは厳しいからあまり行く学生はいませんでした。私がなぜそこに行ったかというと、4年しかいられないんだから、 一番勉強できる先生のもとに行こうと思っていたからです。そういう態度で臨むことが大切なんだと思います。 でも、それはどちらかって言うと、人間として成長したというよりも、大学にいる若い医師として成長したということだと思いますね。

 学長先生の言うとおり、学生でいられる時間というのは限られとるんじゃよ。 社会人になったら勉強したくてもできんようになるばい。

―― では、人間として成長した、と思われたのはどんな時でしたか?

 本当に成長させてくれたのは、それから十数年してから。 カドミウムの汚染地域にいた人たちの健康診断をする機会があって、そのときに思ったんです。 大学病院で医者としていると、大学病院に来る人は皆さん患者さんで、医師と患者という形以外の人間関係を作りにくいわけです。 しかし、その小さな町で診療することで、当たり前なんだけど、それぞれの人がそれぞれの生活を持っているということが分かったんです。 生活とその人の健康状態は密接な関係があるわけですよ。病気も、映画や小説や文学や絵画と同じように、その時代の様子が現れるんです。 昔、殺菌されてない水を飲んでいる時にはコレラという病気が流行ったし、明治時代には殆んど全員が結核で亡くなりました。 でも今は成人病で亡くなる人が多いでしょう?そういう風に人間の健康が時代とともに変わると言うことが分かったんです。

 病院にいるときは、自分が若くてあまり経験の無い医者でも相手の人たちは皆さん患者さんなんです。 でも、地域を見ると、そこのお父さんはその家族にとっては掛け替えのない父親だし、ある人はそこの地域の纏め役だったりという風に、 皆それぞれがそれぞれの役割を持って生活しているわけです。若い時分には、そういうことに気づかなかったんですね。 だから、私が人として、もし成長したとしたら、人は皆それぞれの背景で精一杯努力しているということが分かったことかな。 病気を治すということはなかなか難しいんだけど、病気を何とかしようと思ったときは、 その人の生活の質を下げないように病気とお付き合いするということになってきて、それが今で言う全人的医療ということなのかな。 例えば、死を迎えるにあたって、それは自宅で迎えた方がいいのか、病院で迎えた方がいいのかというような問題があります。 それから治療だってお金がかかる訳ですから、こちらの好きなだけの治療をしたらすぐ膨大な金額になるわけで、 それが果たしてそこの家庭にとって本当に望ましいことか、という問題もあります。 そういう、人それぞれが生活を持って暮らしているということについて、我々は不当にそれを無視していたりというようなことがあったんです。 そういうことと同じようなことが、教室での教員と学生の関係においてもありました。 大学にいるということは、今までとは違った他の見方によって学ぶことができるということです。 大学で皆さんに差し上げることができるものはごく少しかもしれないけど、大学で皆さんが人間を学んでもらえるといいかと思います。 私は、知識も大事だけど英知のほうが大事だと思っています。英知というのは、知識の上にあるもの、人間を学んだり社会を学んだりすることで得られるもの。 今は知識だけに偏ってしまっているのかもしれないね。

 人のことを考えるって、実は難しいこと。自分勝手じゃあダメだにゃ。 むむむ、知識だけじゃなくって英知か。難しいにゃー。でも大事なことだにゃ。

最後に

―― このラーニング・ティップスの活動への意見をお聞かせください。

 私の大学作りには、学生諸君、教員、卒業生それに社会の皆さんの支援というものが欠かせません。 だから、このラーニング・ティップスの取り組みは非常に結構なことだと思います。 本当はこれだけのことを我々、教員の方もしなきゃいけないと思います。

―― 先生が考える理想的な大学とはどのようなものだとお考えですか?

 この大学で勉強したいと思ってくれる学生が多数を占める大学。 それから、もうひとつは、この大学で学んだことを誇りとしてくれる人が多数を占める大学。それが私の考える理想の大学です。 まず、この大学で学んだことを誇りとする人が増えてもらわないといけないと考えています。 学生の中には長崎大学に不本意なところがあると思う人もいるかもしれません。 そういう人達にも、自分たちが長崎大学で学んだことを誇りに思ってもらうにはどうしたらいいかっていうことを実行していかなくてはいけないと考えています。 そして、それを続けていけば、長崎大学の魅力が社会に広がり、長崎大学で学びたいと思う人が増えると思います。

―― それでは、最後に大学1年生へのメッセージをお願いします。

まず、1つ。志の高い人間になってもらいたい。 志の高い人間というのは何も自分が将来出世しようとか、金持ちになろうとかそういう人を志の高い人というのではありません。 志の高い人は自己の利益を第一に考えない人間です。また、その人なりの倫理観があって、していいこととしてはいけないことがはっきりしている人間です。 私は学生諸君に対してそういう人間になってもらいたいと考えています。それから、もう1つ。一生懸命やってください。 一生懸命やっている人間というのは、40年50年経ってもいい人生を送っているのだと思いますよ。 だから、部活動でも学習でも何でも良いから一生懸命してもらいたいというのが私のメッセージです。

是非とも、一生懸命、学生生活を送ってもらって、結果として志が高い人間になってもらえれば、 と思うニャ。学長先生ありがとうございましたニャ。